初めまして atelier663jp の運営、製品開発、製造、すべてを行っています野尻と言います。
オリジナル製品を設計製作している私の改造履歴と製作した製品のこだわりなどについて記載したいと思います。
まずは現在の職業ですが各種工作機械、溶接機、他を使用し 水力発電、電子、航空宇宙、地質調査、関連を主体に金属加工業を主とした、株式会社 野尻光機 を経営しております。
趣味から始まった車関係の部品も、自分の考えに基づきパーツの設計や製作も長年やってきております、その中には業者様より設計、製作依頼頂いた商品が長年に渡り多くの方々に使用して頂いているパーツも存在しています。
2024、9月初めに晴れて newDEFENDER L663 オーナーとなり「人生最後の車」として社外部品の取り付けやオリジナルパーツの設計、製作を少しずつやっていこうと思っております。
1990年に中古ですが初の自分の車(セリカXX2000GT)を購入、当時は専用の足回りなどもほとんどなく、情報も雑誌のみの時代に純正のストラットに雑誌の広告で見つけた車高調用の汎用ねじキットを購入、純正に溶接しオリジナルの車高調整を組み込んだのが趣味での車改造の始まりとなります。
当時はお金もなく売っている物はなかなか高価で手には入れられない状況でした 幸いにも父親が鉄鋼関係の加工工場の職人でいた為鉄鋼材料の入手、溶接等の鉄に関係する加工は頼めば時間の空いている時に直接工場に外した部品などを持って行けば父に頼んで加工、溶接等をしてもらって自分で考えた物は形としては手に入れる事が出来ていました。
次の車に乗り換える頃には前2席セミバケット…内張はほぼなし…クスコのワンウェイLSD,自作のロールゲージを入れ前後車高調整、当時良く居ました 丸ビ(貧乏チューン)改造車 になっていました。
家族も増え子供も大きくなってきたころに 私の改造の基本となる車 「三菱デリカスターワゴン」 と出会います。
当時は四駆でワゴン車だったのでスキーやキャンプなど家族で出かける為の車として数年間はルーフキャリア、マッドガードを自作する程度のノーマル状態で乗っていました。
当時立ち読みしていた4WD CRAFT と言う雑誌で 私とグレードは違えど同じ車種に極太タイヤ(ミッキートンプソンバハベルテッド31x15.5x15)を履かせたスターワゴンに え!凄い の感動を覚え、見たい衝動が抑えられず夜中1時間ほどかけショップの実車を見にいってみました。
実車は雑誌よりもはるかに凄く今迄一度も見た事が無い迫力とカッコよさ、そして衝撃がありました
どうしても自分の車もこの状態にしたい……
それからは本屋で雑誌を見まくり情報が載っている本は買いあさり、まずどの様にしてこの状態にしてるのか?の情報を集めまくりました。
その頃自身も父親と同業の仕事をやっていた事と、更に現在の私の自社工場で父親が個人事業主として独立していた為毎日仕事終わりに父の工場で工作機械を借りて部品の設計、製作を少しずつやっていました。
当時売っていたデリカスターワゴン用のアップキットを参考に何種類も色々製作してみたのですがトーションバーの締め上げ過ぎでの不具合が出て来たり、上げた事による色々な場所の不具合、対処として追加部品を製作し失敗、別の所からの部品を作って対処…これの繰り返し、約8か月間車は不動状態、たまに元に戻し旅行等へ行く…
そして何とか公道を走れる状態の車が出来、当時の公認車検も取れ、晴れて自分の思っていた車を手に入れる事が出来ました。
当時はプライベートでここまでやったという事柄が珍しかった事もあって雑誌でも数社紹介して頂きました。
この頃から”趣味での車の改造”が再燃し始め当時このスターワゴンにはどこのショップも32インチのタイヤを履かせる事が売っているパーツを使用すると最大…と言われていたのですが自身の車両はパーツ自体は何度も失敗して設計した部品、しかも各部品は足回りの動きを見てパーツを追加、設計、装着していた事もあり次なる目標”35x14.5x15のバハベルを履かせたい…”その願望の元新しく再設計したパーツを製作‥‥そして完成させる事が出来ました
1998年に掲載して頂いた実車 数十本付いているランチョのショックは意味は無いが全て稼働(笑)します
私的にはこの車種で日本1の高さにこの時点で居れた事は非常に良かったと思っています、キャンプ、BBQに行けば声をかけて頂き、いつの間にか車の下には人だらけ(笑)イベントに行っても知り合う人達がどんどん多くなり九州から北海道まで友人が出来、連絡を取り合ったり製作に関しての相談を受けたりとかなりの方達と知り合う事が出来ました。
この後にボディで上げる施工を関東でやるショップが出来、超高層車両が世間でも見られるようになり大迫力の4駆があちこちで見られるようになってきていました。
その頃私は父の工場に入社し働いていた事もあり一人で改造などやってきていたのですが、雑誌の掲載などで一緒に改造する仲間が増え、その仲間たちと週末になると自身の工場で溶接や、他社の部品移植、オリジナルパーツの設計、加工、オークションなどで購入した部品の装着などを夜中にした後、河川敷へテストを兼ね走りに行く事が最大の楽しみとなっていました。
河川敷とはいえ中途半端なパーツを付ければ直ぐに壊れ積車をレンタカーで借り積車して帰ることも…その経験もあってか「強化しすぎて肝心な所を壊してしまわない改造」が重要だということに気が付き もしも の時は壊すパーツ(その場で交換できる)製作も重要な要素だと実感、実際に自分で走って壊してみると次の設計、製作の知恵や足りない足回りの動きなども課題として出てきました。
この頃になるとこの本格的な悪路は走るような車ではないこの車でどこまで自分でできるんだろうか‥‥
このような考えが出てきて足回りをどこまで動かせるようになるのか?そしてただ動くだけ、見た目、ではなく 走破性、実用性 を考えたパーツ設計、製作となっていました。
そして壊したくないパーツ、もしもの時に壊れるパーツ、その他自身の経験値を凝縮し、新たなパーツを組付け、テストを何度もし、最終に仕上がった車輛が↓になります
最初に衝撃を受けた雑誌に大きく記載して取り上げて頂いた事は一生の宝物と思っております。
雑誌では市販のショックアブソーバ;オリジナルショックを付けていますが、この後自身で考えた1サブタンク式LRショックを設計し、装着‥‥中身のオリフィス構造部はビルシュタインの部品を使い、バイク用フロントフォーク用のオイルで粘度調整、オークションでビルシュタインの不動品も含めショックを買い集め中身のシムを集めまくり、セッティング‥‥
*リジット式の足回りの構造上縮み側足回り方向ではサブタンク気圧部分が圧力が上り(ショックが縮む為)伸び方向には圧力が下がる(ショックが伸びる為)
このような状況が普通なのですが、このセンター1シリンダーのショックはLRメインショックの真ん中に1つしかないサブタンクの中央部分に圧力室があり縮んだ反対側は伸びているので圧力の変化が少なくなるメリットがありました。
このフィーリングは自分的にとても良かったのを覚えています。
*フロントのブラケットに北海道のチャンプ佐藤さんに頂いたサインがマジックで消えずに残っています(笑)
(仕様は書き出すときりが無くなるので割愛させていただきます。)
この頃には 機能重視 なので少々見た目も武骨(^^;かと思いますが今までの経験もありましたので 壊れる 事は殆ど無くなっていました
そしてディーゼル規制 と言う時代の流れでこの車両ともお別れする日がやってきまして次の車両はクロカン車の王様(笑)ランクル80、ナロー、観音、…の王道車となりました。
最終的にバンパーも製作(センターの曲がっている部分は何かのマフラーの曲がっている部分を良い所?でカット、溶接でつなぎ合わせています‥‥丸ビ(笑)健在です)、頭の上に載っていたランプは邪魔なので降ろし最終的にかなりすっきりとしました。
この走破性のほとんどないデリカを自分なりに改造し、そしてかなり走破性の高い状況まで持ってゆく事が出来た事は、今の設計するときの考え方や、重要にする場所、部品の材質の選択、強度の出し方等々とても勉強、そして知識、経験になったと思っています。
そして次のランクル80はノーマルでも十分過ぎる位に走破性が高く壊れない…あまり改造するところが無い…
しかしそれはそれなりで バンパーを製作、ショックのマウント移設、それに伴いショックのストロークが市販のものでは納得がいかず満足できるサブタンク付きのショックを製作
画像には残ってませんがハーストのラインロックをライン逆付けをし、リアブレーキラインに組み込ませ足元のスイッチでフロントのブレーキしか効かない様にもしていました。(この使い方はモーグル下り等でバックに入れフロントを軸に1点スライドさせるときに使っていました)
この車輛もラテラルロッド、ステアリングロッド、フロントバンパー、サイドステップ、‥‥キリがなくなるほどオリジナルのパーツが装着されていました。
走りに行く仲間も徐々に減りランクルの欠点である燃費、税金、も影響してか乗る機会も少なくなって2014年このランクルを売却・・・
その後、ミニバン→ツーリングワゴンと乗り継いでいたのですがそんな時 DIFENDERがフルモデルチェンジ ディーゼル設定あり これは! と思ったのですが金額がどーにも高すぎる‥‥
さんざん悩んだ末、車好きの人生最後の車 としてながーいローンを組み晴れて DIFENDER110HSE オーナーとなりました。
9月に納車されて2週間目で軽くドライブレコーダーを付けるのにパネル等はがし配線、ヒューズタップで電源取ろうとして左ドアがロックしない‥‥2週間目ですでに故障させてしまいました。営業からは最悪コンピューター交換です‥‥と言われていましたが運よくリセット操作だけで無事元の状態に…‥
最近の車は微細な電圧迄管理しているようで昔のようにはなかなかいかないようです…
今後はこちらのHP を介してオリジナルパーツの設計や製作状況を掲載し、自車によるテストでOKとなった物のみ少量となりますが販売もする予定でおります
また、社外製品の取り付けなどで困った時など伝えられる範囲ですが情報交換なども出来ればと思っています。
atelier663jp 野尻光一